宗派の数について

私たちの暮らしの中、知っておきたい仏教の事

海外と比較して無宗教という方が多い日本でも、葬儀など仏教に深くかかわる事はとても多いです。
仏教には宗派が存在し、代々檀家としてお世話になったお寺さんの宗派によって葬儀を行ったり、亡くなった際にはお墓に入り、供養を重ねてきていただいています。

しかし最近は核家族化が進み、代々の菩提寺を知らない方もいますし、菩提寺に関係なく葬儀を行う方も少なくありません。
仏教には様々な宗派があり、真言宗や浄土真宗等みなさんも聞いたことがあると思いますが、宗派というのはどのように生まれたのでしょうか。

もともとはお釈迦様の教えにたどり着く

現在日本に存在する宗派は非常に多く、古くから続いているものだけでも法相宗に華厳宗、律宗、天台宗と真言宗をはじめ、13もの宗があります。
しかしさらに宗派を複雑にしているのが、この宗派から様々に枝分かれているという状態で、日本の仏教宗派は戦前、十三宗五十六派といわれるほどにあるのです。

またこうした代々伝わる宗派のほかにも、戦後、宗教法人が続々登場し分派が独立する等の動きが活発化したため、現在では百六十派を数えるといわれます。
元をただせば仏教はお釈迦様の教えを説くもの、広めるものであったはずなのになぜこれほどまでに宗派、また分派が多くなったのでしょうか。

そこには仏教伝来の歴史が深く関与しています。
仏教は遠くインドで誕生した教えで、それが中国にわたり日本に伝わったとされます。
中国は仏教が入ってくるまで儒教の国だったので、仏の教えを説く師が生まれ、やがて仏教の宗派が形成されていったのです。
中国から日本に仏教が伝来した時にはすでに、仏教は宗派が存在していました。

仏教を好んだ聖徳太子

中国から渡ってきた仏教を好んだとされる人物が聖徳太子です。
仏教の教えに尊さ、素晴らしさを感じ、仏教によって国の安定を図る事は出来ないかと模索したのです。

十七条の憲法は聖徳太子が定めたものとして知られていますが、ここにも仏教の教えが色濃く見られます。
聖武天皇の時代には、全国各地に国分寺と国分尼寺が誕生し、その元締めという形で東大寺、法華寺が建立、日本は仏教を主軸とした国に成長していきます。

日本は古来より神々がこの地を作り神々に守られてきたという神道を信仰する国でした。
しかし朝廷が古来の神々を仏教が助けるという位置づけにしたため、もともと神道だった日本でも仏教がうまく取り込めたという背景があるのです。

最澄と空海

仏教が日本に入り、その後平安時代になると日本流のアレンジが加わります。
ここに深く関係するのが最澄と空海です。

遣唐使として共に中国にわたっていた二人はその当時、非常隆盛していた密教に心奪われ、日本に伝えます。
空海は高野山に、そして最澄は比叡山に真言宗を開きます。
中国密教に空海、最澄の独自の世界観を反映させた新たなる仏教です。

密教は呪術的な祈祷などによって願いをかなえるというもので、もともと神様への祈りを通じ、様々な願いをかなえようとしてきた歴史がある日本では、この密教がすんなり受けいれられ、大きく発展しました。
貴族時代も終わりに近づいた平安時代の終わりに飢饉、凶作などが続くと、無常観などを背景とした末法思想が拾外、そこから阿弥陀如来を主軸とする浄土宗が生まれました。
南無阿弥陀仏の念仏によって阿弥陀様の慈悲を受け、極楽往生できるという単純明快でわかりやすい仏教、浄土宗は庶民を惹きつけ一気に広まった仏教です。