木魚について

御坊様がリズムよくたたく木魚

お寺さんから聞こえてくる「ポクポクポク・・・」という木魚の音、リズムよく刻まれ、また非常によいお声を持った御坊様がお経を唱えながら木魚をたたいていると、なぜか心が静まっていくように感じます。
仏教の事をよく知らない方でも、お経を聞くと心休まる気持ちになるのは、やはりこの木魚の心地いいリズムあってこそでしょう。
木魚はそもそもどうして必要なのか?お経をあげるためのリズムをとる為なのか?それともほかに意味があるのか、お経をあげるときに木魚をたたくその理由を調べてみました。

もともとは平たい魚の形だった

木魚は丸くて中が空洞になっています。
それをたたくことによってポクポクといういい音が響くのです。
鈴のような木製の木魚を連想される方が多いと思いますが、実はこの木魚、昔は本当に魚の形をした平たい木で作られていました。
昔、平たい魚の形をした木魚は、お寺さんで起床の合図や集合、食事をする際の合図として利用されていた道具に過ぎなかったのです。

木魚が現代のような形になり、ただ合図の道具として利用するだけではなく、丸く鈴のような形になり、お経の際に必ず叩くようになった所以は諸説あります。
例えば、お経を唱える際にどうしても眠くなってしまう御坊様のために必要だったという説があります。

魚という形は「昼夜を問わず目を開けている魚のように、怠けることなく修行にはげみなさい」という事から利用されてきた形です。
そのため、その魚の形をした板をお経に使う事で、昼夜関係なく修行に励む御坊様が眠気を生じないようにお経に利用したという説も納得できます。

煩悩を無くすという意味もある

諸説ある木魚の誕生に、「木魚をたたくことが煩悩を滅する」という説もあります。
木魚の原型であった魚の形をした板、この魚の口の部分には「玉」がつけられています。
この玉はお数珠と同じように煩悩の玉だったといわれ、その玉のついた道具をたたくことで煩悩を無くす意味があったともいわれています。

魚の形をした平たい道具にあしらわれている玉、これは煩悩の珠と呼ばれ、修行する僧侶たちが煩悩をたたき出すという意味が込められているといいます。
煩悩の珠がついた魚をたたくことで、煩悩から解き放たれるようにとお経の最中、木魚をたたくようになったという事も、なるほど、納得できる説です。

いずれにしても、木魚というのは修行をしていない私達も、葬儀や法要の際などにこの音を聞くと、心が静かに癒されていくような気持ちになるものです。
お亡くなりになった方をしのび、静かにお眠りになるようにとあげていただくお経を聞くだけではなく、木魚によって煩悩が解き放たれるという意味を知ってお経を聞くと、ますます、気持が穏やかになっていくように感じます。

念仏とお経について

現代っ子にわからない?念仏とお経の違い

葬儀の際、御坊様が亡き人の成仏を願い、お経、念仏を読むのは葬儀などで多くの方が経験されてきているでしょう。
しかし、念仏なのかお経なのか、その区別すらついていない人も多いのが現代です。
念仏なのかお経なのか?と若い世代からすると御坊様がお葬式で読むのは同じなんじゃないの?とわかっていない方も多く、やはり日本は無宗教派が多くなってきているのだと感じます。

核家族化が進み法要なども子供の時から参加する事が少なくなっている時代です。
お経と念仏の違いくらいは理解しておきたいものです。

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経

日本に暮らしていれば、多分一度は「ナンマンダブツ」と聞いたことがあるでしょう。
正しくは南無阿弥陀仏「ナムアミダブツ」ですが、現代人が聞いてすぐに意味の通るものではありませんし、若い人は念仏の意味も全く知らない方が多いです。

南無阿弥陀仏とは浄土宗、浄土真宗の御本尊に当る「極楽浄土」の仏様を指します。
南無というのは梵語である「namas」から来た言葉で、意味としては深く信心するという事を指します。

つまり合わせれば、仏様を深く信じます、信心しますという意味になります。
これが庶民にわかりやすい、極楽浄土に行けるように信心する念仏です。
日蓮宗で唱えるのは「南無妙法蓮華経」ですが、これも南無・妙法蓮華経と分けることができ、日蓮上人が最上の経典として崇めていた「妙法蓮華経」に帰依しますという意味なのです。
妙法蓮華経は「法華経」のことを指します。

お経って何?

葬儀や法要の際、御坊様にお経をあげていただく、でもその意味って全く分かっていないし、ただただ、亡くなった方、故人をしのび手を合わせているという方も多いでしょう。
お経は経典をみても漢字ばかりの文字が続き、ただ読もうと思ってなかなか読むことが難しいのです。
このお経に書かれているのはお釈迦様の教え、説法です。

経典は釈迦がお亡くなりになってから200年ほど経過して作られたといわれます。
お経は人々が記憶したものが伝えられてきました。
紀元前後にいま私たちが知るお経の原型となるべきものが誕生していたのですが、その数は3000という数にのぼっています。
そのうち、一番なじみの深いものが、般若心経です。
写経などでもよく用いられているのですが、お経がシンプルに伝わるもので、それぞれの宗派によってお経がコンパクトにおさまっています。

お経は生きていくための指針となるもの

お経というと私達にとって、葬儀屋法要の際に御坊様に聞かせていただくものと捉えていることが多く、亡き人をしのび、鎮魂のイメージがありますが、実は生きていくための指針ともなるべき説法です。
お経には、人はこう生きるべき、人というのはこういうもの、だからこそこのようにいきていくべきなのだとお釈迦様が人生を導いてくれる教えなのです。

宗派の数について

私たちの暮らしの中、知っておきたい仏教の事

海外と比較して無宗教という方が多い日本でも、葬儀など仏教に深くかかわる事はとても多いです。
仏教には宗派が存在し、代々檀家としてお世話になったお寺さんの宗派によって葬儀を行ったり、亡くなった際にはお墓に入り、供養を重ねてきていただいています。

しかし最近は核家族化が進み、代々の菩提寺を知らない方もいますし、菩提寺に関係なく葬儀を行う方も少なくありません。
仏教には様々な宗派があり、真言宗や浄土真宗等みなさんも聞いたことがあると思いますが、宗派というのはどのように生まれたのでしょうか。

もともとはお釈迦様の教えにたどり着く

現在日本に存在する宗派は非常に多く、古くから続いているものだけでも法相宗に華厳宗、律宗、天台宗と真言宗をはじめ、13もの宗があります。
しかしさらに宗派を複雑にしているのが、この宗派から様々に枝分かれているという状態で、日本の仏教宗派は戦前、十三宗五十六派といわれるほどにあるのです。

またこうした代々伝わる宗派のほかにも、戦後、宗教法人が続々登場し分派が独立する等の動きが活発化したため、現在では百六十派を数えるといわれます。
元をただせば仏教はお釈迦様の教えを説くもの、広めるものであったはずなのになぜこれほどまでに宗派、また分派が多くなったのでしょうか。

そこには仏教伝来の歴史が深く関与しています。
仏教は遠くインドで誕生した教えで、それが中国にわたり日本に伝わったとされます。
中国は仏教が入ってくるまで儒教の国だったので、仏の教えを説く師が生まれ、やがて仏教の宗派が形成されていったのです。
中国から日本に仏教が伝来した時にはすでに、仏教は宗派が存在していました。

仏教を好んだ聖徳太子

中国から渡ってきた仏教を好んだとされる人物が聖徳太子です。
仏教の教えに尊さ、素晴らしさを感じ、仏教によって国の安定を図る事は出来ないかと模索したのです。

十七条の憲法は聖徳太子が定めたものとして知られていますが、ここにも仏教の教えが色濃く見られます。
聖武天皇の時代には、全国各地に国分寺と国分尼寺が誕生し、その元締めという形で東大寺、法華寺が建立、日本は仏教を主軸とした国に成長していきます。

日本は古来より神々がこの地を作り神々に守られてきたという神道を信仰する国でした。
しかし朝廷が古来の神々を仏教が助けるという位置づけにしたため、もともと神道だった日本でも仏教がうまく取り込めたという背景があるのです。

最澄と空海

仏教が日本に入り、その後平安時代になると日本流のアレンジが加わります。
ここに深く関係するのが最澄と空海です。

遣唐使として共に中国にわたっていた二人はその当時、非常隆盛していた密教に心奪われ、日本に伝えます。
空海は高野山に、そして最澄は比叡山に真言宗を開きます。
中国密教に空海、最澄の独自の世界観を反映させた新たなる仏教です。

密教は呪術的な祈祷などによって願いをかなえるというもので、もともと神様への祈りを通じ、様々な願いをかなえようとしてきた歴史がある日本では、この密教がすんなり受けいれられ、大きく発展しました。
貴族時代も終わりに近づいた平安時代の終わりに飢饉、凶作などが続くと、無常観などを背景とした末法思想が拾外、そこから阿弥陀如来を主軸とする浄土宗が生まれました。
南無阿弥陀仏の念仏によって阿弥陀様の慈悲を受け、極楽往生できるという単純明快でわかりやすい仏教、浄土宗は庶民を惹きつけ一気に広まった仏教です。