出羽三山神社

美しい景色の中に大きな赤い鳥居が神秘的な出羽三山神社

出羽三山というのは標高414mの羽黒山、標高1984mの月山、標高1504mの湯殿山の事です。
この出羽三山は出羽国の東西を二分する丘陵主要部を占めている山々です。

その昔、出羽三山は幾度も噴火をおこし近隣の民を苦しめてきましたが、やがて静寂を取戻し山々に緑が茂り生きものたちも戻ってきました。
荒々しく噴火する姿、その後の生命を宿す姿を目の当たりにした人々はそこに神秘の力を感じました。

命の糧を与えてくれるこの場所には、きっと山の神、海の神が御鎮まりになっているに違いない、当時の人たちはそう感じたのです。

第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子により御開山された

593年、推古天皇元年に奈良の都から日本海の荒波を超え、一人の皇子がこの地にやってきます。
この皇子は第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子でした。

イツ八の里、由良の八乙女浦に迎えられた皇子は三本足の霊鳥に導かれ道もない場所をかき分け、羽黒山、阿古谷という場所にたどり着きます。
皇子はここで難行苦行を積まれ羽黒の大神、イツ八の里の国魂伊氏波神(いではのかみ)の御出現を拝したといいます。

これは1400年も前の御事ですが、この時をご開山の年とし、皇子をご開祖と定めそれ以降篤く信仰されました。

やがて御開祖となった蜂子皇子の修業は羽黒派古修験道(はぐろはこしゅげんどう)として結実、現在まで羽黒山伏という形を取り、秋の峰入に代表される厳しい修行道が続いています。

現在では山の内外を問うことなく、全国六十六州のうちの東三十三ヶ国の民衆、また皇室や歴代武将などに篤く信仰され、本邦屈指といわれる霊山、霊場としての地位を築き上げ、今もなお、四季を通じて多くの登拝者が絶えることなく訪れています。

四季の峰と呼ばれた修験道の儀礼

明治5年、修験宗廃止令が出されるまではこの地に、四季の峰として年に4回、入峰修業(にゅうぶしゅぎょう)がおこなわれていました。
入峰というのは山の中という意味があり、修業は胎内の業とされていました。

修験道の儀礼は、死霊が父の精を受け母の胎内に宿り、その命が修業を通じ神の霊威を頂いて成長し、生まれ変わるという死と再生の儀礼といわれていました。

春の峰は稲作の豊作を祈願する予祝行事、新春を寿ぐ儀礼であり、夏の儀礼は道者自身が擬死再生の儀礼を通し自分の生命の若返りを図り祖霊をまつり慰める峰でした。

飽きの儀礼は修験者となるための修行とされ、衆生済度に主軸を置き専門の修験者を養成する業が行われました。
秋峰を重ねると位階昇進の許しを受けるということで、立身出世という意味も持っています。

冬の峰は稲などの五穀に穀霊の発言を待つための物忌みの行といわれます。
こうした行がこの羽黒山で行われてきたのです。