榛名神社

清流と老杉、巨岩が取り巻く自然の中の榛名神社

巖山、一字15万平米という広い敷地内に御鎮座されているのが榛名神社です。
参道は清流がそうようにせせらぎ、空を老杉が多い、巨岩や奇岩などを目にすることもあるまさしく手つかず自然の中に存在しています。

全国の主要な神社名を描いたとされる神名帳には、上野国十二社、群馬郡小社とされています。
927年に完成したという神名帳に記録されている神社は式内社と呼ばれている格式の高い神社です。

榛名神社が歴史の中にその名を現したのはここが最初といわれ、当時、既にこの神名社に名を連ねるほど成長していたということがよくわかります。

また10世紀から12世紀に著された三宝絵詞、上野国交替実録帳などにも、榛名神社の名が出てきます。

初代座主、座主が山を支配していた中世

榛名神社は榛名山邨誌などからその記録をみると、快良が1210年、初代座主となりその後、関白道長の子孫が代々受け継いできたようです。
座主が一山を支配していたということが書物からわかるのです。

1317年、南北朝動乱期、榛名山座主職をめぐる抗争があり頼印が座主となりました。
戦国時代については座主職に誰もつかず、衰微していったようです。

天海僧正により復興が進んだといわれる

戦国時代、かなり衰微したとされる榛名神社ですが、近世、天海僧正により復興されたと書物に書かれており、それ以降、寛永寺の支配を受け寛永寺末、中里里光明寺が学頭、榛名山満行院が別当所と任命されています。

この学頭や別当が赴任する場所が別当所と呼ばれ、この役所は榛名山の信仰の中心ということで、学頭や別当については一山を支配してもいいという権限を与えていたようです。

その下には三役人として、衆徒五ヶ院に吟味役、年寄、この下に脇年寄、行事、山見役、神楽頭取等があったといいます。

国の指定重要文化財となっている榛名神社境内

境内は国の指定重要文化財となっています。
1806年に再建されたもので、左に拝殿、右に本社、それをつなぐ幣殿があります。
隅木入春日造、正面三間、側面二間、幣殿は両下造、正面一間、側面三間、拝殿は入母屋造で正面千鳥破風、両側面と向拝二軒唐風、現造の複合建築です。

本社に置いては御姿岩に接し岩奥にご神体がお祀りされています。
美しい彫刻を見ることができ、目貫の鷲、左右海老虹梁の2龍が有名です。
天井に描かれている花草飛龍の絵は、絵師として有名な根本常南が描いたものです。

三国志に因んだ絵柄が彫られている双龍門

1855年に作られたという双龍門は、4枚の扉にそれぞれ丸く文様化されている龍の彫刻が見られるため、双龍門と呼ばれるようになったようです。

羽目板両面に三国志にちなんだ絵柄の彫り物があり、天井の上り流、下り流がかなりの迫力です。
この天井の龍をえがいたのは高崎藩士矢島氏とされています。