厳島神社

1400年もの歴史がある厳島神社

593年、佐伯鞍職によって厳島神社が創建されたと伝えられています。
厳島神社は平清盛が崇敬していたとされ、1168年、平安時代後期、平清盛の援助を受けて佐伯景弘が、現在にみられる海の上に社殿を設け陸から回廊によって結ばれた形式を造営しました。

本殿はみなさんもご承知の通り美しく荘厳で幻想的なイメージがあります。
この本殿以外、37棟という本宮(内宮)、さらに対岸の地御前に19棟の外宮が設けられています。

このすべてが完成するまでには、現在の様に機材等があったわけでもなく長い期間を費やしました。
平家一門の勢いが増していくうちに厳島神社の社運はより高まり、その名は全国に広まりました。

世の中が不安定になった鎌倉から戦国時代、厳島神社も荒廃の時期を迎えましたが、1555年、厳島の合戦により毛利元就が勝利し神社がその支配におき庇護します。
これによってふたたび社運が向上し、さらには天下統一目前の秀吉公も参詣を行い、武運長久を祈り、その年、安国寺に大経堂(千畳閣)の建立を命じたといいます。

私達も近年、自然災害によって厳島神社が被災した姿なども見てきましたが、古くから海水に浸っている床柱は腐食しやすく、幾度となく自然災害、火災に見舞われてきました。
しかし、島内外、全国各地の篤き信仰心によって支えられ、幾度も再建修理がおこなわれ、現在でもその美しき幻想的な社殿その他を目にすることができるのです。

厳島神社の見所は数えきれないくらいに多い

厳島神社はその全体像をみても美しく、世界で他に類をみないと思われる姿です。
見所は数えきれないくらいにあるのですが、まず、重要文化財となっているあの海の大鳥居です。

本社火焼前(ひたさき)から88間、海面にそびえる朱塗りの大鳥居はここに神が宿る事を象徴的に感じさせる美しい鳥居です。
この大きさ、奈良の大仏と同じ16mという高さ、重さは約60tといわれています。
主柱には樹齢500から600年という楠の自然僕が利用されています。

この主柱に利用する巨木をさがすために、20年という長きにわたり探し続けたといわれるほどです。

この主柱の根元については、海底に埋められていると思っている人が多いのですが、松材の杭を打ち地盤を強化し、箱型の島木の中、石を詰めて加重するなどの方法により、「鳥居の重さ」だけで立っているのです。

本殿と平舞台は建立当時を連想させる絢爛豪華さ

本殿は国宝とされており、ここには市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)という3女神がお祀りされています。

切妻両流造りは美しく華麗、まさしく女神がおわす場所に相応しく、本殿正面には緑青塗、引違、菱形の格子戸が非常に印象的です。
屋根には神社に必ずあるとも言われる千木、鰹木を持っていません。

桧皮葺の屋根の上に瓦を積む化粧棟という形式を持っている寝殿造りならではの様式が見事です。
今私達が見る事の出来る本殿は元亀2年に毛利元就により改築されたもので、非常に歴史深いものです。

平舞台も国宝です。
寝殿造りの庭とされる部分ですが、平氏一門が千僧供養を行った際、社殿前方に仮廊を設けたと伝えられています。
この仮廊がいつしか常設となっていったのではないかといわれているのが平舞台です。

火焼前(ひたさき)という特徴的な突き出た箇所を持ち、管弦祭の出御、還御についてはここから行うものです。
他の社殿に利用されている束柱は木造、
しかしこの平舞台の束柱は赤間石です。

これは毛利元就によって寄進されたものとされ、火焼前分を足すと、実に239本という数に登っています。

このほかにも、国宝高舞台、重要文化財の能舞台、同じく重要文化財の反橋、さらに美しく神秘的な廻廊・・・・と厳島神社の見所は非常に多い事でも知られています。