鹿島神宮

日本建国、武道の神様をご祭神とする鹿島神宮

鹿島神宮の御祭神であるタケミカヅチノオオカミ「武甕槌大神」は日本建国に挺身された神様です。
神代の昔に、天照大神の命を受け、香取神宮の御祭神とされるフツヌシノオオカミ「経津主大神」と共に出雲の国に天から降りました。

大国主命と話し合い、国護りの交渉を行い成就され日本の建国に身を尽くしてくださいました。

鹿島院宮の創建は初代神武天皇の御代です。
神武天皇は東征半ば、思わぬ窮地に立たされますが、この時タケミカヅチノオオカミの韴霊剣の神威により救われます。

この神恩に深く感謝された天王はご即位される際、皇紀元年に大神をこの地に勅裁されたといわれます。
東国遠征の拠点として多くの重要な祭祀を行い、奈良時代、平安時代には国の守護神として篤く信仰されたといいます。

20年に1度行われる造営遷宮も覆なわれ、源頼朝、徳川家康などの武将たちからも尊崇され、武神として仰がれるようになったと伝えられています。
現在見られる社殿については徳川家二代将軍の秀忠公によって奉納され、奥宮は徳川家康公、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されています。

12年に一度行われる御船祭の御由緒とは

鹿島の神様と船との関係は創建時代にさかのぼり、東路となる鹿島は外海の太平洋西の内海の中にあり、船団の航行によって栄えた古代東国文化の要塞といわれていました。
東海を扼する鹿島に鎮座し関東開拓鎮撫に当る鹿島の大神を奉する当時の人々の篤き信仰、足跡を伝える祭です。

1700年も昔、応神天皇の御代より伝わってきた鹿島神宮最大の祭とされています。
なぜ、12年に1度、牛年だけに行われるのかというと、十二支が一巡し、牛の方角が南であること、時刻においては正午と「陽性」が最も盛んとされるためです。

邪気不景気を払うという一陽来復という願いが込められている、縁起のいい祭といえるのではないかと思います。

また武道の神様ということで、毎年武道演武大会が奉納されていますし、日本古武道交流演武大会などが開かれています。
武道にまつわる催しなど、鹿島神宮だから見る事の出来る年中行事も多く行われています。

多くの宝物も歴史ある鹿島神宮ならでは

鹿島神宮は多くの武将たちが信仰しており、武道、武家とのかかわりが深いことで知られています。

藤原摂関家、徳川将軍家等、武家の信仰が特に篤く、武家、武将たちから奉納された数々の宝物類が所蔵されています。
国宝、重要文化財、茨城県指定文化財等も多数あり、宝物の宝庫としても知られているのが鹿島神宮なのです。

特に国宝である日本最古最大といわれる直刀、「金銅黒漆平文拵・附刀唐櫃」、重要文化財の松竹蒔絵鞍、太刀「銘景安」、茨城県指定文化財の古瀬戸狛犬、銅印、木造狛犬、黒漆螺鈿蒔絵台など、ここにしか見られない宝物はまさしく日本の宝です。

また鹿島神宮の神社縁にある百馬図は雪村作、鹿島洋朝瞰図は横山大観筆等もあります。
直刀は実物大のレプリカ展示があるので、実際に手に触れて重さ、大きさを感じることができます。