国家神道について

国家神道という言葉を知っていますか

国家神道とは何か?と聞かれても多分多くの方が分らないと答えるでしょう。
ある程度こうしたことを理解されている方でも、明治時代に入ってから第二次世界大戦までの間、約80年間、日本国家、政府は神道を宗教とし、それを国民に強制した、という認識をお持ちの方が多いです。

しかし実際には政府は神道を導入した理由は、神社非宗教論だからです。
神社なのに非宗教とはどういう意味なのか、これはまた疑問です。
神社も宗教の施設であり、神社で行われていることすべてが宗教行事ではないのか?行為ではないのか?と感じるでしょう。
ここでこうした疑問を晴らすためには、宗教とはなんなのかという事を明らかにしておくことが必要となります。

明治維新時代に起ったこと

明治時代の前、神仏習合とされながらも圧倒的地位を持っていたのはやはり古くから存在する仏教寺院です。
徳川幕府は江戸時代に、民衆をしっかりと支配するために、寺請制度、つまり檀家制度を導入します。
これで江戸時代は完全な仏主神従という状態になります。

こうした時、神職として一番違和感を持ったのは葬儀も仏式で行うという事でした。
神職たちは葬儀を神葬祭で行う事が出来るようにと声をあげたのですが、神職本人、またその嗣子のみであれば許すという状態で、ご家族においては仏式の葬儀をあげるほかなかったのです。

明治維新が起った理由に関して教科書では黒船来航によって開国しそのため物価が高騰、民衆の暮らしが一気に悪くなり一揆がおこり、仕方なく徳川幕府は政権を朝廷に渡したとなっていますが、本当にこれが明治維新のきっかけであるなら、幕府が改革をすればよかっただけの話です。
そこに理由として出てくるのが、尊皇思想です。

徳川幕府の初期、秩序をただすため儒教をとりいれますが、そこで生まれたのが国を治めるのは天皇であり、将軍ではないという事です。
この考え方が浸透し幕末、日本全国でこの尊皇思想が多く広まったと考えられています。
こうしたことがあったからこそ、明治維新で「神武創業時代に戻る」というスローガンです。

神道国教化に失敗した背景

明治元年には神仏分離によって神社と寺院が分けられ、その後、宣教師が登場し国民教化運動が始まり、キリスト教が普及します。
当時、基本的に信教自由となったため神道国教化が進んだともいえます。
しかし本当にうまくいっているという事はなかったのです。
明治4年に神社が国家の総祠であると社格制度が制定され、神官世襲が廃止されました。
当時の神祇官は力がないうえ活躍できないままに、神祇省に格下げされます。

神社だけではうまくいかない、神祇省も廃止、教部省が設けられ神職、僧侶も教導職となり神仏合同による国民教化が進められました。
こうしてみるとこの時代は、神道を国家国民の宗教へ・・・という考え方から思惑通りに進まず、どんどんかけ離れていると感じます。

神祇不拝であり他の神仏を拝む事を極端に嫌う浄土真宗や、もともと真宗地帯である長州は、当時大教宣布運動の中、建築された増上寺大教員によって造化三神、天照大神がお祀りされた事、僧侶が拝礼するようになったこと、指導内容もほとんどが神道という事にがまんならず、長州や政治家なども巻き込み脱退活動を激しくし、最終的に明治8年、離脱します。
結果、大教宣布運動は失敗、神道国教化はここに散ったと考えられます。

結果、教部省廃止となり神社は内務省社寺局管轄下となります。
神道は神道事務局が設けられ、祭神に造化三神、天照大神、さらに大国主大神もお祀りするべきという出雲大社宮司より主張があったのですが、伊勢神宮宮司が拒否し、ここに祭神論争が始まりました。
この論争は最終的に政治家に勅裁を依頼することになりました。

神社非宗教化への道

政治かと官僚たちは当時、欧米列強にどのように追いついていけばいいのかという事だったため、欧米の制度・文化・思想を積極的に導入します。
ここで宗教においても、欧米諸国に習う事ととなり、明治15年、神社の非宗教が決まり祭祀のみ行うという事になったのです。
神職についても教導職の兼任が禁止となり、宗教活動は実質禁止、宗教としての神道は宗派各自が行う事になったのです。

その後も、神社は非宗教なのかどうか、こうした議論が継続することになります。
第一次世界大戦の修了、世界大恐慌により国家主義が世界各国で台頭するようになり、日本でも満州事変等多くの事件が起き、軍部が政治を握り次の戦争、大東亜戦争に向かっていきます。
当時はキリスト教でさえも国家主義とならざるを得ない状態でした。

戦争によって国家政府も次第に国民を管理するようになりますが、あくまでも非宗教という事実があります。
その上で超国家主義的な思想を持ち始めたのは、政府が押し付けたわけでもなく、こうした管理の中で生きていた民間そのものから湧き上った思想だったのです。
日本は後に敗戦国となり、占領軍はアメリカにおけるキリスト教同様、神道が国民を動かす原動力を持っていると勘違いしていたところもあり、神道指令をだし、国家・神道を分離、神社の国家管理が廃止され、後、考えてきたことに違いがあるとして条件が緩されますが、神道指令によって国家神道という言葉が、現在の意味として利用されるようになったのです。